今日もブログが書きたくて仕方がない。
夢を持つことは、「目標の自分となるまで不幸でいます。」という契約を自分自身と交わす事とも言える。
そして、「目標の自分になったら幸せになれる」と思い込むのは、私達が、何度も、何度も繰り返す誤ちかもしれない。
今の自分を否定しまうと、この思考に落ちいる。
そして、目標を達成して、幸せになれた、と思っても、それは錯覚かもしれない。目標の自分になったけど、思った程、幸せを感じない。あれ?と。認知的不協和を感じる。おかしい、もっと幸せなはずだと、脳が無理矢理に、認知的不協和を解消する為に、意味付けをして、幸せを、思い込みで感じているのかも知れない。
思い込みで、幸せを感じる事が出来るのならば、今すぐに、同じ思い込みで幸せになった方がお得ではないか?
なので、今、もう、既に、夢を叶える前に、私は幸せという事にする。参照点をずらすのだ。口角をあげて笑うのだ。脳は時に愛すべき程にアホだ。あれ、もしかして、既に今、幸せかも知れない?と思えてや、こないだろうか?
私はいま、もう、こうやって、目がハッキリと見えて、世界を総天然色カラー映像で見る事が出来、文字が打てる事に幸せを感じている。やらねばならない事は天高く山積みだが、目が見えるというこの幸せに比べたら、もう知った事では無い。
という事で、もう、寝ようと思う。
睡眠は人生で超絶大事である。
明日から頑張る。
今は今で、幸せだけれども、そうなったらもっと楽しいのではないか?
辿り着いても、あれ?と思うかも知れないけれど、それはデフォルトだ。辿り着けるまでの過程が楽しめる目標なら、やって損はないだろう。と、夢を大それたものとは考えずに、もっとライトに考えてみるのは如何だろうか。という提案だ。ゆるっと歩き出せそうな気がしてこないか?歩き続けられるような気がしてこないだろうか?