今日もブログが書きたくて仕方がない。
今更ながら、自分という人間に興味が出てきた。自分は何をすると楽しいと思うのか、悲しいと感じるのか、快を感じるのか、苦を感じるのか、体調が悪くなるのか、胃がもたれるのか、ハイテンションになるのか、メンタルダウンするのか、笑うのか、怒るのか、何も感じないのか、モヤモヤするのか、ワクワクするのか、どんな食べ物が好きなのか、嫌いなのか、興味が尽きない。知りたい。解像度MAXで、ハッキリと、明確に、知りたくなってきた。
自分の事を知ってる様で、実は何となくで、あんまり知らなかったりする。実は、あまり興味が無かったのかもしれない。自分の事など知っていて当たり前だと、タカをくくっていたのかも知れない。
意識して生活してみると、自分はこういうパターンにハマった事象が起こった場合、こういう気分になるのだなとか、こういう思考回路になるのだな、と発見がある。じゃあ、予めこうしておこうとか、考えたりしている。
自分を他者として、捉えて観察する。他者?他者なのか?パートナー?双子の片割れ?とも違う。ひとまず、「他者」としよう。
この他者をどう呼ぶか?と考えてみた。
「彼」というのは、少々よそよそしい。「こいつ」というのは失礼だ。矢沢永吉さんは自分の中の自分をYAZAWAと呼ぶらしい。
俺は許すけど、YAZAWAは何て言うかな?
私には少し、しっくりこない。下の名前で、◯◯さん、が良いかも知れない。対等な感じがして良い。◯◯ちゃんだと砕け過ぎだ。
ということで、◯◯さんはどう思うだろうか?と、観察していきたい。
小学生のクラスメイトで、一人称が◯◯ちゃん、という子が何人かいた。当時はとても違和感を感じて、幼稚だなあ、と思っていた。
だが、今考えると、彼らは、自分の事を他者として客観視していたのではないかと思う。つまりメタ認知する事が出来ていたのかも知れないと思う。
知らんけど。