Kengonの書きたいブログ

狸小路商店街最重要思想家 兼スノーボーダー

釈迦とガンジー

今日もブログが書きたくて仕方がない。

 

釈迦とかガンジーについて、浅はかながら知性を匂わしたいが故に、自己理解を絡めてつらつらと書いた文章。

 

釈迦。尊敬の意味を込めて釈尊と呼ばれる事もある。本名はゴータマ•シッダールタ。実在の人物。生まれたばかりの釈迦は7歩あるき、右手を空に向け、左手は地に向けて「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」と言ったとされる。そんな赤ちゃんはいない。弟子が勝手に語った妄言。それが信じられる程、崇められていた。なお、この言葉は暴走族の特攻服に刺繍がよく施されている。

諸法無我。これは釈迦の言葉。財産も子も然り、自分でさえ、自分の物はない。との意を内包する真理を説いたもの。自分のものではないと言える自分を理解を出来ないというのは真理と解釈しており、尚更他人を理解できると思うのは烏滸がましい、と説く人もいる。

ガンジーガンジーはインドの独立運動指導者で、非暴力と不服従の理念を広めた。平和主義者であり、貧困と不平等に対する闘いも行った。称号は「マハトマ(偉大な魂)」。

ガンジーは、人は寝るたびに死んで、起きる度に別人となり生まれ変わるという。昨日の私と今日の私は別人であり、極端に言えば、毎日変わる自分の理解は不可能とすら思える。自己理解すら不可能、かつ況んや他者理解をや。

以下、仏教について。仏教は宗教ではなく哲学である。(ガンジーヒンズー教)「仏教」という言葉より「仏道」という言葉が私はしっくりくる。元々の原始仏教に限るが。私は仏教徒でも無いし、宗教にも興味はない。だが宗教に救いを求めたい人の気持ちは今では分かる。

釈迦は宗教家では無くゴータマ•シッダールタという哲学者だと思っている。ショーペンハウワーやニーチェにも影響を与えたとも言われる。だが、その後の弟子達が勝手な宗派を大量に乱立させ、仏教はもはや得体の知れない宗教になった。故に日本の仏教、仏閣に興味はあまり無い。釈迦の褌を借りた何かである。私が日本の仏教に関わるのは葬式くらいなものか。日本人は無宗教だが、各宗教からのいいとこ取りのセレモニーが大好きだ。葬式は仏教からのいいとこどりでいいと思う。仏式の葬儀が一番一般的であるし、参列者にとってもそれが1番参加しやすく良いと思う。

なお、尖った私は断捨離の過程で、礼服を捨ててしまった。もし必要となったらレンタルするしかないのだが、田舎にはそんなサービスないだろうなあと思って調べてみたらあった。需要はあるのだろう。