Kengonの書きたいブログ

狸小路商店街最重要思想家 兼スノーボーダー

ファイナルファンタジー7

今日もブログが書きたくて仕方がない。

私は暇なのでFF(ファイナルファンタジー)というゲームをやったりしている。普通の勤め人にはRPGの全クリアは時間的に相当困難だと思う。全クリア出来るひとは、暇がある学生、休日にゲームに長時間を割ける程のよっぽどのゲーム好き社会人、ゲーム実況系YouTuber位かと思う。普通の勤め人であった私は、FF10より後のナンバリングオフラインタイトルに挑戦するもその全てを長らく挫折してきた。ようやくFF16を去年全クリアした。全クリア出来たのはFF10以来なのでほぼ20年以上振りの全クリアである。

だが、残念ながら若き日の興奮と感動は無かった。グラフィックは美麗であるが、面白さと比例するモノでは決して無い。FF16は召喚獣にフォーカスされた内容だった点についてはとても良いと感じた。タイトルバックのイラストが対峙するイフリートとフェニックスということからも召喚獣にフォーカスされたナンバリングタイトルという事が分かる。正直、何で対峙しとるん?って感じだが、何故か同じ火の属性だから色々すったもんだがあるんやでと、お察しした。私はゲームや映画のストーリーはよく分からない。特にアクション映画のストーリーは意味不明だ。アクションシーンありきなストーリーだからどうでもよくて、製作陣もストーリーを詳細に観客に分からせる気はさらさら無いから故と思っているのだがどうだろう。皆は理解して観ているのか。よく分からないと公言してはいけないことは暗黙の了解なのか。理解しているつもりなのか、そもそもどうでもいいのか。と、話が大幅に脱線した。FFの話に戻そう。私は召喚獣が好きだ。大概の召喚獣はとっても強い。強いのである。こんなに強いのに何故か人間に召喚されて、いいようにこき使われてしまう点に闇を感じる。

今、遅ればせながらFF7リメイクをやっているが、最近発売されたFF7リバースもクリアしようかとも目論んでいる。だが、この歳ともなると、何とも複雑な心境でゲームをプレイしている。

まず、主人公達がレベルアップしても自分自身は全くレベルアップしないという事実を意識する(これはそこそこ昔からか)。そして、レベルの数値が年齢に重ねて見えてくる。序盤はレベル20そこそこ。フレッシュであり、若いって素晴らしいなぁ、とか思う。考えがオッサンである。レベルが上がり続け、自分の年齢に近づいてくる。そして超えると、何とも言えない虚無感を感じる。四苦(生老病死)の老を感じるのである。

こんなことはPS1でのオリジナル版のプレイ当時には到底意識し得ない事であった。当時は主人公を含め、全員が自分よりも歳上である。対して、今は全員が自分よりも歳下である。そう思いつつ、全く老けていない、あのときのままの年齢の、むしろもはや全く角ばっていない、髪も肌も瞳も若々しく美麗なクラウドさんを羨望の気持ちを懐きながらも操作しなければならない。

学生の時にPS1でプレイしたFF7は神がかり的なに面白かった。ビジュアルが美麗であれば、それに比例して面白くなるものでもない。リメイク7もそれなりに面白いが、オリジナル版をPS1にてプレイした時の当時の感情には数段、十数段劣る。私の感受性も干からびてしまったせいもあるのだろう。

かといって、今オリジナル版を再プレイしたいとは全く思わないが、あのゲームを超えるRPGに一生出会えることはもう無い。そして、私は臆せずに正直に言おう。ストーリーはほぼ分かっていない!(簡潔には、魔晄というエネルギーを貪る連中から星の命を救おうぜ!的な話なはずだ、ったような。古代種云々の話が出てくるがよく分からない。セフィロスも何がしたいのかも忘れた。ザックスとかいうクラウドさんに似た人が出てくるがクラウドさんとの関係性もサッパリ忘れた。)

リメイク、リバース、そして更なる次作を作っている人達は、当時私と同じ位の年齢で、夢中でオリジナル版をプレイした人達で、『俺(私)がリメイクを作る!』と言わんばかりにスクウェアエニックスに入社して夢を叶えた人達なんだろうなぁ、と勝手に思うと感慨深い。FF7のリメイクは、そのニーズはかなりの昔からあるも、勿体ぶり感を超絶感じるほどに、長らく実現され無かった。スクエニの切り札ともすら呼ばれた程のプロジェクトだったである、とも聞く。

そんなプロジェクトに今関わっている人達は幸せだろうなぁ、と思う。大変な事も多々あるとは思うけれど。知らんけど。そんなFF7が大好きである。

次作はFF17となるが、7の数字が入ってるだけに、少しワクワクする。

クラウドとクライヴって名前似てるよなー。何でそうした?

今日もブログが書きたくて仕方がなかった。