オヤツ

今日もブログが書きたくて仕方がない。

小学生の頃の遠足のオヤツはバグレベルのコスパである。

その額300円。遠足前日に仲の良い友達と約束し、お店にお菓子を買いにいく。300円という制約の中で吟味する。組合せを考える。制約されているからこそ得られるクリエイティビティ、楽しさがある。Twitterの文字制限のように。300円と言えども、駄菓子なら色んな種類のお菓子が買える。500円だと多すぎる。200円だともの寂しい。300円は絶妙な金額設定だと思う。今思うと、そうか、たった300円か!とも、思うが。丁度良い金額だなと改めて思う。

買って家に持ち帰り、これを明日の遠足にお弁当と一緒に持っていくと思うとワクワクする。眺めてニヤニヤする。そしてもちろん、遠足当日。お弁当の後に、昨日の吟味の末に満を持して用意した、いわば「作品」のようなオヤツを広げて食べるのが楽しい。友達が買ってきたオヤツを見て、お互いに、お前はどんなのを買ってきたのだ?と「品評会」が始まる。オヤツを交換したりもしたかも知れない。

楽しすぎる。たった300円。バグである。

参照点

今日もブログが書きたくて仕方がない。

 

行動経済学における「参照点(Reference Point)」は、意思決定や評価の際に人々が比較や判断を行う基準や基点のことを指す。

 


私は毎朝、この参照点を「死」に設定している。さすると、あらゆる事に感謝の気持ちが生まれる。というような、心の内をあまり大っぴらにするのも正直モヤモヤするが、敢えて書こう。

 


今、断捨離を進めているのだが、3.11の翌日の新聞紙が出てきた。見出しは「東日本巨大地震 M8.8死者•不明多数」。

 


いつだって死は想定内だ。毎回のブログ投稿もこれで最後の投稿になるかもしれないと思って公開ボタンをいつも押している。

iPhone 3GS

今日もブログが書きたくて仕方がない。


iPhoneについて。

断捨離を進める中で、大昔に使っていたiPhone3GSが出てきた。持ってみると、メチャクチャ手に馴染む。手の平に吸い付く感じ。ポケットに入れてもそのサイズ感と重量感が最高。持ってるだけでテンションがアガる。初めてiPhoneを手に入れた時の感動の思い出補正もあるのかもしれない。それを差し引いたとしても、このフィット感は素晴らしく、官能的でさえある。ジョブズが存命だったときのデザインプロダクト。改めて流石。

 

捨てられない。

買う前に手放す

今日もブログが書きたくて仕方がない。

 

所有は執着を生む。

執着は苦を生む。

 

所有、即ち、購入する時に、手放す事を意識するのだ。このモノをどう処分するか?消費するのか、死ぬまで持つのか、人にあげるのか、売却するのか、ゴミ箱へ捨てるのか。買うモノ一つ一つについて丁寧に考えるのだ。目的はNO執着の為である。レジ列が長いと、格好の思考時間となる。今日は百均に行った。全ての買い物品の処分時のイメージを妄想した。つまり、心の中で時空を超越し、買う前に手放したのである。

 

さて、執着は皆無となるのか、低減するのか?

私は毎日が思考実験である。

今日はもう、眠ることにする。

格安SIM

今日もブログが書きたくて仕方がない。

 

格安SIMについて。

最近データ制限のあるプランの会社からデータ無制限の会社に乗り換えた。データ制限をほぼ毎日気にして使っていたが、その呪縛から解き放たれて、解放感しかない。

 

毎日のことであるから相当ストレスであった。脳内メモリの一部が解放された。金額的には千円程度上がっただけである。それでこの解放感。時として、本当に非合理な選択をし続けてしまうものだ。明らめよう。後悔に何も意味はない。ただ、反省はしよう。少ないコストアップで、かなりのメリットを享受出来る場合は、ある、ということだ。かようなポイントは日々丁寧に探して、調べて、地道にアタッチしていこう。

クアドラプル

今日もブログが書きたくて仕方がない。

 

今日は感情が乱れることが、ダブル、トリプル、では無く、クアドラプル(4つ)で短時間に連鎖した。一つは結構デカかった。以前の私なら、軽くパニックになった事だろう。

 

バッファを食い潰した。

悪き事は連鎖するのか、いや、前後関係に因果関係はない。完全に運だ。一つトラブルがあっても、因果関係が無ければ、次にトラブルが起こる確率に変動は無い。

 

こういうこともある。バッファのバッファをとった、3割での平常運転でも、時にバッファを食い潰す事はある。

 

なんとかリカバリーは出来た。トラブルはつきものだ。明らめよう。そこから、感情を排除した上で、次手を考え、どうリカバリーするかだ。

 

語学勉強

今日もブログが書きたくて仕方がない。

 

目的も無く、語学を勉強すること。

そうだな、例えば、実際に何か食べたい料理もなくて、実際にオーブンレンジを使うモチベーションは皆無なんだけど、とりあえず多機能オーブンレンジの分厚い説明書を読み込むようなものか?色んな機能があって複雑で頭に入らないし、覚えても使わないならすぐに忘れると思う。

 

勉強することが目的で、自己満足に浸ることが目的なら、英語の勉強もオーブンレンジの勉強も大差ないのではないか?世間からの評価の違いか?他人のものさしの話か?