今日もブログが書きたくて仕方がない。
ある研究によると、意思が先で行動が後、ではなく、行動が先で意思が後だというのです。
人間による行動は何かしらに対する反応によるものであり、いわば後付けの意思により自分が自分をコントロールして行動出来ていると錯覚しているというのです。反応のみで生きていると言われる昆虫と所詮同レベルなのだと、思ったことがあります。
極端な例で言えば、右手を動かすにあたり、右手を動かそうという意識の信号は、右手が実際に動いてから後追いで発生しているというのです。
今日もブログが書きたくて仕方がない。
なんやかんやあり、久々の投稿である。実になんやかんやあった。今回は、大分昔にまとめた勉強方法について書いてみようと思う。勉強というのは、ゾーンに入る事も出来るし、達成感も得る事が出来る。自分の好きな分野の勉強であれば、勉強するという行為から享受できるメリットは大きいと思う。
と、本題に入ろう。具体的な勉強法について記述していこう。具体的といっても、シンプルに、とにかく反復して読め!という話である。
「教科書は1冊を10回読め!」大概の人は本や教科書を1、2回読むだけで理解しようとする。そして案の定、「自分には、理解できない」と簡単にあきらめてしまう。
大抵、参考書を最初から熟読して理解しようとしても、うまくいかない。理解できなくて心が折れる。自己肯定感がズタボロになる。順を追って最初から最後まで読み進めるのが正と考えて真っ向から挑もうとしてしまうから。何故か染み付いている考えなので、気を緩めるとついつい上記のような読み方をしなければならない、というバイアスにかかってしまうから要注意だ。そんな必要は全くない。最初の1回なんて流し読み、というか、流し見で良いのだと思う。
■STEP1 1~3回 流し読み
スピード感覚重視。
理解不可能でもなんなく、とにかく読み流す。
書いてあることをぼんやりと見るという感覚で、どんどん読み進める。
■STEP2 4~6回 しっかり読む
1行1行を丁寧に読む。
1行に時間をかけて、疑問がでればチェックする。
内容を観察するようなイメージ。
■STEP3 7~10回 全体を読む
全体の構成を把握。
流れをもう一度イチから理解。
全体に光をあてて、全体と一部をいったりきたりするイメージ。
7回読み勉強法という勉強方法を紹介した本を、弁護士の方が昔出していたので読んだ記憶がある。それと同じ勉強方法だ。最初は、読まずに見るという感覚が、最初はなぜか罪悪感を感じてしまうのだが、そこを、バイアスを外すような気持ちで、ざっと眺めるように、とにかく読み通すことが大事だと思う。
眺めて終わっただけでも、小さな達成感が得られる。小さな報酬がある。そして、2回、3回と繰り返すと自己肯定感も生まれてくる。
眺めるときに、重要度の記載があるテキストならその点を意識して、メリハリをつけるとなおよいと思う。
勉強を、壁へのペンキ塗りと例えるなら、端から順々に完璧な色合いで丁寧に塗っていくのではなく、薄いペンキでさーっと、全体を軽く塗っていく行為を繰り返すような作業にすることだ。
一回一回は、ペンキの濃度は薄いが、塗り重ねていくうちに、濃くなっていく。
短期間で全部塗れるごとに達成感がある。
端から順に丁寧に完璧に塗っていこうとすると、達成感はなく、途中立ち止まったときに、残りの時間を考えると絶望感を感じて、挫折してしまう可能性が高い。ペンキを薄く、何回も塗り重ねていこう。
今日もブログが書きたくて仕方がない。
ブログや日記を書くために折り畳みキーボードを持ち歩いている。iPhone、iPad miniにBluetooth接続して使うキーボードである。
だが、不要なのではないかと考えている。フリック入力で事足りるのでは無いかと。そんなにキーボードで速く入力できるものでもないし、速く入力する必要もないのではないかと思えてきている。思考量が、キーボードの入力の速さを上回ることもあるが、下回ることは、ざらにある。
ポータブルキーボードをいくつか買い、吟味した結果、今持っているものに落ち着いたが、使いこなしているとも言えない。だが、Kindle読書のページ巡りには重宝している。あと、キーボードを拡げてタイピングしていると、「何かやってる感」は出る。
ミニマリストをつきつめるならば、キーボードは要らないのかもしれない。フリック入力で全て事足りるのかもしれない。だが、キーボードの打鍵感は気持ちが良いものである。この気持ちよさというメリットを享受するのに、対価として、持ち運び、管理するというコストを払う事に合理性はあるのか?とふと考えてしまう。
だが、これ以上にミニマリストを突き詰める気は、現状あまり無いと考えている。本を出すレベル、YouTubeで有名になるレベルのミニマリストさん達の断捨離ぶりはスゴい。手放すことで、スッキリとはするだろう。だが、あまりに手放してしまうと、やはり寂しい。程良く手放す、中庸がよいのだ。手放す量のちょうど良い具合も、人によって異なるものである。筋トレの3原理、5原則の中に「個別性の原則」があるが、これが当てはまる。筋トレの原則は、大概の事に当てはまる。
と、キーボードの話から色々と脱線し、脱線したまま、最後は筋トレの話で終わるというパターンである。私はいま、筋トレにかぶれているのである。