Kengonの書きたいブログ

狸小路商店街最重要思想家 兼スノーボーダー

4/22

今日もブログが書きたくて仕方がない。

このブログはありがたいことに、投稿すると、ごく数名の方が見にきてくださるのだが、投稿しない日はほぼ0である。何故か今月の22日に突如1日だけで600ビューを超えていたのだが、一体なにが起こったのだろうか。4/22に記事は何も投稿していないのだ。気になって眠れない、ことは無いので、今日はもう寝る事にする。

釈迦とガンジー

今日もブログが書きたくて仕方がない。

 

釈迦とかガンジーについて、浅はかながら知性を匂わしたいが故に、自己理解を絡めてつらつらと書いた文章。

 

釈迦。尊敬の意味を込めて釈尊と呼ばれる事もある。本名はゴータマ•シッダールタ。実在の人物。生まれたばかりの釈迦は7歩あるき、右手を空に向け、左手は地に向けて「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」と言ったとされる。そんな赤ちゃんはいない。弟子が勝手に語った妄言。それが信じられる程、崇められていた。なお、この言葉は暴走族の特攻服に刺繍がよく施されている。

諸法無我。これは釈迦の言葉。財産も子も然り、自分でさえ、自分の物はない。との意を内包する真理を説いたもの。自分のものではないと言える自分を理解を出来ないというのは真理と解釈しており、尚更他人を理解できると思うのは烏滸がましい、と説く人もいる。

ガンジーガンジーはインドの独立運動指導者で、非暴力と不服従の理念を広めた。平和主義者であり、貧困と不平等に対する闘いも行った。称号は「マハトマ(偉大な魂)」。

ガンジーは、人は寝るたびに死んで、起きる度に別人となり生まれ変わるという。昨日の私と今日の私は別人であり、極端に言えば、毎日変わる自分の理解は不可能とすら思える。自己理解すら不可能、かつ況んや他者理解をや。

以下、仏教について。仏教は宗教ではなく哲学である。(ガンジーヒンズー教)「仏教」という言葉より「仏道」という言葉が私はしっくりくる。元々の原始仏教に限るが。私は仏教徒でも無いし、宗教にも興味はない。だが宗教に救いを求めたい人の気持ちは今では分かる。

釈迦は宗教家では無くゴータマ•シッダールタという哲学者だと思っている。ショーペンハウワーやニーチェにも影響を与えたとも言われる。だが、その後の弟子達が勝手な宗派を大量に乱立させ、仏教はもはや得体の知れない宗教になった。故に日本の仏教、仏閣に興味はあまり無い。釈迦の褌を借りた何かである。私が日本の仏教に関わるのは葬式くらいなものか。日本人は無宗教だが、各宗教からのいいとこ取りのセレモニーが大好きだ。葬式は仏教からのいいとこどりでいいと思う。仏式の葬儀が一番一般的であるし、参列者にとってもそれが1番参加しやすく良いと思う。

なお、尖った私は断捨離の過程で、礼服を捨ててしまった。もし必要となったらレンタルするしかないのだが、田舎にはそんなサービスないだろうなあと思って調べてみたらあった。需要はあるのだろう。

ファイナルファンタジー7

今日もブログが書きたくて仕方がない。

私は暇なのでFF(ファイナルファンタジー)というゲームをやったりしている。普通の勤め人にはRPGの全クリアは時間的に相当困難だと思う。全クリア出来るひとは、暇がある学生、休日にゲームに長時間を割ける程のよっぽどのゲーム好き社会人、ゲーム実況系YouTuber位かと思う。普通の勤め人であった私は、FF10より後のナンバリングオフラインタイトルに挑戦するもその全てを長らく挫折してきた。ようやくFF16を去年全クリアした。全クリア出来たのはFF10以来なのでほぼ20年以上振りの全クリアである。

だが、残念ながら若き日の興奮と感動は無かった。グラフィックは美麗であるが、面白さと比例するモノでは決して無い。FF16は召喚獣にフォーカスされた内容だった点についてはとても良いと感じた。タイトルバックのイラストが対峙するイフリートとフェニックスということからも召喚獣にフォーカスされたナンバリングタイトルという事が分かる。正直、何で対峙しとるん?って感じだが、何故か同じ火の属性だから色々すったもんだがあるんやでと、お察しした。私はゲームや映画のストーリーはよく分からない。特にアクション映画のストーリーは意味不明だ。アクションシーンありきなストーリーだからどうでもよくて、製作陣もストーリーを詳細に観客に分からせる気はさらさら無いから故と思っているのだがどうだろう。皆は理解して観ているのか。よく分からないと公言してはいけないことは暗黙の了解なのか。理解しているつもりなのか、そもそもどうでもいいのか。と、話が大幅に脱線した。FFの話に戻そう。私は召喚獣が好きだ。大概の召喚獣はとっても強い。強いのである。こんなに強いのに何故か人間に召喚されて、いいようにこき使われてしまう点に闇を感じる。

今、遅ればせながらFF7リメイクをやっているが、最近発売されたFF7リバースもクリアしようかとも目論んでいる。だが、この歳ともなると、何とも複雑な心境でゲームをプレイしている。

まず、主人公達がレベルアップしても自分自身は全くレベルアップしないという事実を意識する(これはそこそこ昔からか)。そして、レベルの数値が年齢に重ねて見えてくる。序盤はレベル20そこそこ。フレッシュであり、若いって素晴らしいなぁ、とか思う。考えがオッサンである。レベルが上がり続け、自分の年齢に近づいてくる。そして超えると、何とも言えない虚無感を感じる。四苦(生老病死)の老を感じるのである。

こんなことはPS1でのオリジナル版のプレイ当時には到底意識し得ない事であった。当時は主人公を含め、全員が自分よりも歳上である。対して、今は全員が自分よりも歳下である。そう思いつつ、全く老けていない、あのときのままの年齢の、むしろもはや全く角ばっていない、髪も肌も瞳も若々しく美麗なクラウドさんを羨望の気持ちを懐きながらも操作しなければならない。

学生の時にPS1でプレイしたFF7は神がかり的なに面白かった。ビジュアルが美麗であれば、それに比例して面白くなるものでもない。リメイク7もそれなりに面白いが、オリジナル版をPS1にてプレイした時の当時の感情には数段、十数段劣る。私の感受性も干からびてしまったせいもあるのだろう。

かといって、今オリジナル版を再プレイしたいとは全く思わないが、あのゲームを超えるRPGに一生出会えることはもう無い。そして、私は臆せずに正直に言おう。ストーリーはほぼ分かっていない!(簡潔には、魔晄というエネルギーを貪る連中から星の命を救おうぜ!的な話なはずだ、ったような。古代種云々の話が出てくるがよく分からない。セフィロスも何がしたいのかも忘れた。ザックスとかいうクラウドさんに似た人が出てくるがクラウドさんとの関係性もサッパリ忘れた。)

リメイク、リバース、そして更なる次作を作っている人達は、当時私と同じ位の年齢で、夢中でオリジナル版をプレイした人達で、『俺(私)がリメイクを作る!』と言わんばかりにスクウェアエニックスに入社して夢を叶えた人達なんだろうなぁ、と勝手に思うと感慨深い。FF7のリメイクは、そのニーズはかなりの昔からあるも、勿体ぶり感を超絶感じるほどに、長らく実現され無かった。スクエニの切り札ともすら呼ばれた程のプロジェクトだったである、とも聞く。

そんなプロジェクトに今関わっている人達は幸せだろうなぁ、と思う。大変な事も多々あるとは思うけれど。知らんけど。そんなFF7が大好きである。

次作はFF17となるが、7の数字が入ってるだけに、少しワクワクする。

クラウドとクライヴって名前似てるよなー。何でそうした?

今日もブログが書きたくて仕方がなかった。

反応と意思

今日もブログが書きたくて仕方がない。

 

ある研究によると、意思が先で行動が後、ではなく、行動が先で意思が後だというのです。

人間による行動は何かしらに対する反応によるものであり、いわば後付けの意思により自分が自分をコントロールして行動出来ていると錯覚しているというのです。反応のみで生きていると言われる昆虫と所詮同レベルなのだと、思ったことがあります。


極端な例で言えば、右手を動かすにあたり、右手を動かそうという意識の信号は、右手が実際に動いてから後追いで発生しているというのです。

観る映画を探している

今日もブログが書きたくて仕方がない。

最近来月観に行く映画を探している。オスカー13部門ノミネートのオッペンハイマーという映画が近日公開予定なのだが、マンハッタン計画(原爆製造計画)がテーマでちと重いですね。

自己啓発本

今日もブログが書きたくて仕方がない。

世に出てるビジネス本、自己啓発本を休職中に読み漁った時期がありましたが、たまたま運よく行った経験の自慢話にしか思えず、大概の決まり文句「こんな私が出来たのだから、あなたにもきっと出来る!」と、バックボーンも能力も運も何もかも私と違うあなたが何を根拠にそう断言できるのだ?と思う様になってからは一切読まなくなりました。ホリエモンの本では、上の台詞は言ってませんが危険だと思います。