Kengonの書きたいブログ

狸小路商店街最重要思想家 兼スノーボーダー

比較

今日もブログが書きたくて仕方がない。

 

最近、キャンプで使える折り畳み式のベッドを購入した。国内メーカーの製造で、しっかりとした作りであり、そこそこ快適である。しかし、1人用のサイズにてジャストフィット感はあるが、少し狭苦しい感じがする。

 

今まで、日常で使っていたセミダブルベッドに比べると寝心地は劣る。改めてセミダブルベッドに寝転んでみると、その広さと、マットレスのほど良い反発に改めて愛おしさを感じた程である。

それまでは、毎晩寝転んでいたのに、何も感じていなかった。むしろ、たまに腰が痛くなる事があって、少し硬すぎたかなと、苦の感情を抱く程だった。

 

それがどうだろう、一度、寝心地の劣るキャンプベッドに寝転んだことで、セミダブルベッドの購入当時に感じた、心地良さをハッキリと認識することができた。それからの数日の夜は快適に、ベッドの有り難さを感じながら、床についている。

 

人が慣れる。つまりは馴化という現象は、良くも悪くも必要な、人間の機能である。しかし、良いと感じていたことが、薄れて、やがて無になってしまうのは、なんとも残念で悲しい。時には、何かと比べて、そのものの良さを再認識することが、肝要なのかも知れない。

 

これは、人にも言えることだと、思う。その人を尊敬し、好きになって、一緒にいたはずなのに、時間が経つほどに、馴化の効果によって、その感動は薄れて、やがて無になってしまう。そこでの有効策は、感謝をする事だ。滅多にないこと、有り難い、と思う事で、馴化を打破する必要がある。

 

だが、ただ感謝だけというのも、難しいのではないか。時には、他の人、他の人の境遇ともと比較するという行為も必要悪とひとつなのかも、しれない。寝心地の悪いベッドに寝転んだことで、今まで使っていたベッドの有り難みを深く実感出来たことのように。

 

他人と比較することは、苦であり、避けるべきだと考えていたが、他人の不幸は蜜の味という。これは脳科学的に根拠のあることのようだ。ときにはこっそりと他人と、比較させてもらう事で、現在自分が持っているものの価値を再認識し、大切に思えるように、利用させて頂いても、良いのではないかと思う。後ろめたさという、苦を感じる。が‥‥!