今日もブログが書きたくて仕方がない。
物事には何事にも対価を伴う、という発想は、物心ついた時から、刷り込まれた概念であり、妄想だ。
物心ついた時に刷り込まれている概念というのは恐ろしい。疑問を持つ能力を持たない段階で、無条件で刷り込まれた概念である。それを当然であり、この世界の真理であると、思い込んでしまっている。脳のシワとなっており、消す事は難しい。
資本主義社会では、それが当たり前、それが前提なのだ。(と、資本主義社会、という言葉は、なんともモヤモヤする。曖昧な言葉である。)
何かを得る為には、それ相応の対価が必要であると、無条件で考えてしまう。対価を伴わない場合、認知的不協和を起こし、無理矢理に妄想してでも、対価を思考で調整する。例えば、タダで何かを得たとした場合、後で必ずバチが当たる、と妄想して、自分に苦を与える。苦という対価を設定するのである。その事で、認知的不協和を解消しようとする。
お金は、対価として苦労を伴わないと手に入らないモノ、と多くの人は考える。そして、引き寄せの法則よろしく、その通りとなる。
一方、成金ではなく、本当の根っからお金持ちの人達のマインドはどうかというと、なんやかんやでお金は勝手に入ってくるもの、と本気で考えてるという。お金を生む資産を持っていたり、自分が好きな事をして、それが自然にお金を生んでいた、ということかもしれない。苦しみの対価としてお金が入ってくるとは全く考えていない。これも引き寄せの法則よろしく、その通りになる。