今日もブログが書きたくて仕方がない。
天気のせいなのか、少しネガティブなエントリが続く。ご容赦頂きたい。
ヤバい(悪い)ものはヤバい(悪い)と明確に認識し、明らめる事が肝要である。
人は認知的不協和を感じると、時に無理矢理にでも、妄想をも駆使して、解消しようとする。
悪い人だと思っても、それまでに自分がその人との関係性に費やした時間とエネルギーのコストを回収したいが故に、良い意味を持たせようとする。あの人は根は悪い人ではない、と。
ブラック企業の仕事に無理矢理にでも、やりがい、意味を見出そうとする。この辛い経験が将来必ず生きるはずだと。心のバランスを図ろうとする。心の自衛本能だと思う。だが、その経験が生きることは実質ほぼない。寧ろ、マイナスである。
辛い経験が後に生きる、その様なストーリーが、世の中にはびこるのは、商業的に需要があるからだ。そして、資本家にとって都合が良いからだ。私は陰謀論者では無い。誰かが扇動した訳でもなく、水の流れが川の形を自然と作ったように、自然と世の中がそうなったに過ぎない。
「あの人は悪い人だとみんなから思われているけれど、根はいい人なんだよ。」
否、悪い人である。
ジャスト、悪い人である。
以上。