今日もブログが書きたくて仕方がない。
シリコンバレーの思想家、ナヴァル・ラヴィカント曰く。
無一文で、英語圏の何処かの土地に放り出されたとしても、再び私は財を気付くことができる。
このオープンワールドゲームをやってみたい。一旦お金持ちになって、保険としてのお金があるから、出来るのだと思う。いや、違うか?彼の、この発言の前提は分からないが。だが、この人なら、持ってる財を一旦全て放棄してからチャレンジしても、出来そうだ。
私は、一旦、いざとなったときの充分なお金を確保しつつ、これをやってみたい。
なので、一旦お金持ちになる必要がある。お金持ちが目的ではなく、このチャレンジをする為の手段なのである。目的の手段化である。
不思議と、心理的ハードルが下がる、というか、ライトに考える事が出来る。感情を深く、こん詰めて考えない。こん詰めて考えた事の方が上手くいくという加点システムは、この世界には実装されていないのである。
なので、とっとと、サクッとお金持ちになって、サッサとこのチャレンジをやってみたいのである。お金持ちといっても、足を知れば、大した額では無い。そこそこ安心感を得られる額でよいのだ。取り敢えず、今日はメルカリで空気清浄機を売り払いたいのである。