今日もブログが書きたくて仕方がない。
「注意を払う」という言葉がある。
英語では、「pay attention」だ。
「払う」という概念が西洋でも同様なのが面白い。
注意を払う、という言葉自体がもともと日本には無くて、西洋から輸入された言葉、概念であって、直訳なのかも知れない。それは分からないが、現代においては、同じく、注意は「払うもの」という共通認識、共通の表現になっている事が面白い。
注意力というのは、お金のように、有限の資産であって、対価に対して「支払う」モノであるという考え方には賛成している。
注意力は一日の中で限られている。何かを選択、決断する度にも、消耗していく。
ケンブリッジ大学のバーバラ・サハキアン教授の研究によると、私たちは1日に最大で3万5000回の決断を下しているそうである。まさか、そんなにか?と思う程の膨大な回数であるが、細大含めると、それ程の数に及ぶのであろう。決断の度に、私たちは注意力を消耗する。
①お金、②時間、③注意力の3要素を日々意識している。
スティーブ・ジョブズやマーク•ザッカーバーグが日々同じ服装なのも、コーディネートの選択により注意力の浪費を防止する為だ。元米国大統領のオバマ氏は、日々食べるものについても、お抱えの使用人の方に一任していたという。
決断の回数はより少ない方がいい。
もっと、より、シンプルに生活したい。
どこまでシンプルにできるのか?エクスペリメント思考で、一度極限までシンプルにしてみたいと思っている。
だが、執着が、それを阻む。
その気になれば簡単に生活をシンプルに出来る、と思っていたのはどうやら妄想だった。
執着というのは、想像以上に厄介な代物だった。
じゃあ、どうするか?を考えて、少しずつでも進めていければいい。1ミリでも進んでいる実感があれば、今夜も気持ちよく、眠りにつける。
と、おセンチな気分になったところで、筆を置く。