Kengonの書きたいブログ

狸小路商店街最重要思想家 兼スノーボーダー

人生最後の筋トレ

今日もブログが書きたくて仕方がない。

人生最後の筋トレを始めてから2ヶ月経つ。胸の肉の弛みが消えてきたような気がする。完全には消えていない気はする。だがかなり消えてきた気がする。確信は持てない。気のせいという事にしておく。3ヶ月は身体の変化を気にしてはいけないのだ。今回はそれを信じてみることにするのである。

心の反応

今日もブログが書きたくて仕方がない。

心は反応したがりである。対象は、なんでも良いのだ。とにかく反応し続けていたいのである。悩みの種は尽きない。今考えている悩みの種が解決出来たとしても、今は眼中に無い、新たな悩みが繰り上がり、具現化し、反応の対象になるだけである。いつか、いつの日か、悩みの種が全て尽きる日が来るのではないか、と考えることは幻想に過ぎないのである。

特にネガティヴに反応したがるものだ。私はネガティヴな事にちゃんと(?)向き合っている(?)のだ、と思うことで、安心感を得たいのでは無いか?とも思っている。ネガティヴな考えに反応し、不安を感じる中で安心感も感じる?という、矛盾しているような状況。相反する2つの感情が併存する、という心情はしばしばあり得ると、かのモンテーニュも言っていることである。

今日は散歩中に、昔のテレビドラマを思い出し、そういえば、あの俳優さんは全く最近は見かけないと思い、売れてないのだろうか、と勝手に悲しい気持ちになった。

さっさと俳優業から引退して、今では別な好きな事をやっていて、幸せに?暮らしているかもしれないのに。それにそもそも、その俳優さんの人生は、私の生活とは全く無関係である。特にとても好きな俳優さんだったわけでもなく、そういえばこんな俳優さんがいたなぁ、という程度の方である。

それなのに、その俳優さんの今を案じ、苦を感じた次第である。そして、このブログにその事を今書き綴っている位なので、その想いに執着しているとも言える。本当に、心は何にでも反応し、執着してしまうものなのだと、痛感するばかりである。

リバウンド

今日もブログが書きたくて仕方がない。

太るのはあっという間だ。中には体重が増えないという悩みをお持ちの方もいらっしゃるが、私自身は体重を増やすのであれば、一気に急激に増やす事が可能な体質であると思う。これは急激に骨筋肉量を増やすのでは無く、体脂肪をつけて体重を増やす、ことが出来る、という意味だ。実際急激に体脂肪が増えてしまったことが、これまであった。

だが、増えた体重を減らすのは難しい。漸次的に減らすしか無い。皮肉、いや、残酷であると言って良いだろう。急激に脂肪が増えたからといって、急激に適切に減らせるものでは無いのだ。身体が適切な状態へ、戻る、行き着く速さとは比例しないのである。無理な断食や、水分摂取を断ったりでもすれば、急激に一旦は落ちるだろう。だが、すぐにリバウンドする。極度の食事制限はストレスを伴う。一旦は目標体重に達するかもしれないが、リバウンドはほぼ確実に起きる。

私は以前、リバウンドなど心持ち方次第だと考えていたが、人間のココロの弱さを知った。極度のストレスからの解放。そこからのリバウンドを向かい打てる精神力?のある人は本当にレアな人だと心から思う。運がいい人と、言ってもいい。強運の持ち主だ。

以前より流行りの低炭水化物ダイエットも、今考えると誠に恐ろしい。特に、運動を伴わない低炭水化物ダイエットだ。単純に糖質をカット、という方法だ。その他のルールは無い。食べる量の制限、カロリーの制限も無い。脂身をいくら取ろうとOKである。運動も特に必要ない。なんともシンプル極まり無い。至極キャッチーである。

確かに、この低炭水化物ダイエットで一定の体重まで落とすことは可能だった。万人にとって可能では無いとは思うが、私には可能であった。私は経験で知った。10年程前には成功した。恐らく、運動を並行してやっていたのが功を奏したのかもしれない。だが、ここ数年で、再度挑戦したのだが、違和感を感じた。脂肪と一緒に筋肉まで落としている実感があった。目標体重をクリアしたとしても、そのシルエットは‥‥、望んだ体型には行き着けないと確信した。いわゆるスキニーファットという状態だ。筋肉量と脂肪量のバランスが悪い。隠れ肥満という状態になる可能性が高い。胸板は筋肉が落ちて薄くなり、お腹はポッコリと出ている。

適切な食事、運動、睡眠。正しい減量の方法は、つまるところ、これしか無い。近道は無い、というより、これこそが、近道である。本当に地味だ。真実はいつも地味である。

プロテイン(P)、ファット(F)、カーボン(C)。つまりは、PFCバランスの管理。マクロ栄養素の管理である。これは本当に地味だ。地味すぎて、キャッチーなダイエット記事には、ほぼ出てこない地味レベルなので、出てきたとしても完全に、私が今までスルーしてきた概念である。だが、今ではこれしか無い。

と、今の脳は、主観が、そう思っているにすぎない。のだとは思う。また後で振り替えて、違う、と思うことはおおいにありそうだが、結局は、最終的には、そこに辿り着くのではないかと思っている。

なお、筋トレとダイエット、どちらか一方でも続ける、継続させるのは至難の業であるのに、どちらもやろうとするのはハードルが高い。かなり高い。従い、まずは体型は気にせずに、筋トレに取組むのが吉だ。

とは、いっても身体のシルエットに心は反応してしまうものだ。街中のショーウィンドウに体型のシルエットが映るのを毎日みるのであるから。

スーパーエリート

今日もブログが書きたくて仕方がない。  

今日は驚愕の事実?を知った。筋トレの1年間の継続率は4%未満であると聞いていたのだが、この数値には「軽い運動をしに来る人」、「プールだけ泳ぎに来る人」、「エアロビクスやヨガだけをやりに来る人」も含めての数字だというのである。

筋トレ(筋肉に負荷をかけて、筋力向上、筋肉肥大を目的としたトレーニング)だけにフォーカスした場合の継続率は、驚愕の0.3%というデータが。1000人に3人という、スーパーエリートにも程がある。フィットネスジム入会の広告は、街中に多くあるが、こういった事実、情報というのは本当に表に出てこないものだ。それを不思議にさえ、思わないものだなぁと。 道理から考えてそのような情報をあえて、世に拡める合理性はないのである。

ワンステップ

今日もブログが書きたくて仕方がない。

ヤル気のメカニズムは、本当に皮肉なモノだ。ヤル気は待てど暮らせど起きない。実際にやり始めてから脳の即座核という場所が刺激されて、後追いでヤル気が出てくる。そのヤル気が無いのに、行動を起こす力、ワンステップが、踏めるか、否か。ここに明暗がある。これはワンステップ力と言ってもいい。ヤル気ナッシングの状態で、踏み出す一歩。これが本当に難しい。何となく、踏み出せるものもあれば、何日も、何ヶ月も、そして何年も踏み出せない場合もあるだろう。部屋の隅の荷物、いつかは片付けようと思いつつも、気づけば、年単位で放置という状態になってないだろうか?ワンステップを踏んで、片付け始めて終えば、ヤル気が出て、部屋の隅がスッキリとしていたかも知れない。数年前の時点で。

このワンステップに徹底的にフォーカスした本があれば読みたいものだ。無いのなら、私がいつか書くか、と思って見たりする。

脳はアホなので、笑顔を作ると、幸福な状態と勘違いする。確かに、勘違いするのか、真顔より笑顔にする事で気分が良くなるのを実感はする。辛い時にこの勘違いを利用したいと思うが、辛い時に、笑顔になる、という表情を変えるだけだが、このワンステップが踏めない。辛い気持ちなので、笑顔にしようという気力が無い。また、もし、笑顔にしても、気分が変わらなかったら、恐らくガッカリするだろう。更に辛い気持ちになるだろう、と思うと恐怖を感じる。ワンステップが踏めない。

筋トレ

今日もブログが書きたくて仕方がない。

人生最後のダイエットと同時に、人生最後の筋トレも並行して継続中である。ある調査によると、筋トレが半年続くのは13.6パーセント。

筋トレをし始めても、すぐに筋肉はつかないという事を真に心で理解していない人は多いと思っている。3カ月間では筋肥大は殆ど起こらないと理解する事が肝要だ。見た目は少し引き締まるかもしれないが、筋肥大を期待してはいけない。変化は無視する事が最適解である。筋肥大が始まるのは3カ月間が過ぎてからなのである。細かい話は、今回は割愛するが、端的に言うならば、「筋力」は上昇するが「筋肉量」は増えないのだ。その情報を知らないが故に、3カ月続けてもほぼ見た目に変化がなければ、心が折れて辞めてしまうだろう。自分もこの情報を明確に理解していなければ、100%挫折する自信がある。筋トレの才能が無い、向いていないのだ、と明らめてしまう自分をありありと想像出来る。この情報を手にしてからは、ほぼ体の変化を気にしていない。少し引き締まった?いや、錯覚だろう。といった具合だ。それにしてもこの情報は初めて知った。筋トレの効果はすぐには出ない、という事は聞いてはいたとは思うが、聞き流していたのだろう。いやいや、そうは言っても1、2カ月もやれば、そこそこ変化があるはずだと、都合良く思い込んでいたと思う。そして、1、2ヶ月後の現実と、勝手な想像とのギャップに心が折れ、挫折してきた。それを何度も繰り返してきたのだと思っている。

だが、私は今回、この情報を得た。筋トレは情報戦である。今回は、まずは半年継続し、86.4%の皆さんに打ち勝とうと思う。

フォーカス

今日もブログが書きたくて仕方がない。

いくらフォーカスしても、フォーカスしきることはないと感じる。剥いても剥いても芯が出てこない、玉ねぎのように。開けても開けても、まだまだ中に人形が入っているマトリョーシカのように。まだまだフォーカスの余地はいくらでもある。気がつけば、フォーカスが緩む。解像度が下がる。フォーカスの意識が抜けて落ちてる。