Kengonの書きたいブログ

狸小路商店街最重要思想家 兼スノーボーダー

語学学習

今日もブログが書きたくて仕方がない。

私は日本で生まれた日本人である。日本語がペラペラで、文字もスラスラと読める。だが、そうなるまでに文法学習もしたことはないし、辞書も引いたこともない。日本語が扱えなくて、もどかしさを感じたり、その学習に苦を感じた記憶はない。気付いたらそうなっていた。特に努力など全くした記憶がない。会話が先で、読み書きはその後だった。

英語学習もかくべきである。文法学習も辞書も必要無いのだ。本当に英語を習得したいのであれば、まずは会話が必要な環境に身を置くことだ。自分がどうやって日本語を身につけたかを丁寧に思い出すのだ。必要は学習の母だ。「発明」だったかもしれないが。知らんけど。必要無いのに、勉強しても脳は、ほぼスルーする。そういうところにおいて、ヤツは合理的だ。「別に困らんし、いいっしょ」と言うが如くパワーをセーブしようとするのである。よくタスク管理で言われる「重要だが緊急性の低いタスク」が中々実行されないのは、その思考回路が原因と考えている。「別にやらなくても、直近困らないっしょ」と言うが如く、脳はヤル気スイッチを入れない。理性では、やるべきと考えていても、本能ではヤル気ナッシングなのだ。ならば、本能が困るような環境に身を置くしかないのである。私はそう考えている。

そして、会話がそこそこ出来るようになってから、読み書きは始めればよい。日本語もそうだったはずだ。言葉はこうだったが、文字にするとこうなるのか、と。なるほどねと。その順番が自然だ。ラテン語をマスターするのが超絶難しいと言われている理由は、ここにあると私は考えている。ラテン語で会話する環境が、ほぼ世界に無いからだ。会話をすっ飛ばして、読み書きから、いきなり入るしかない。故にラテン語の取得は難しいのだ。

なお、私は英語は話せない。

のびしろしかない。