Kengonの書きたいブログ

狸小路商店街最重要思想家 兼スノーボーダー

本屋

今日もブログが書きたくて仕方がない。

私は本屋が好きだ。新たな視点を与えてくれる、読書という行為が好きであり、本が好きだからである。また、ネット書店とは違い、思いもよらぬ分野の本に出会い、興味を持てることがあるからである。だが一方で、本屋に行く度に絶望感という苦も感じる。世に出版されている本の数を身をもって感じるからである。とはいっても、これまで世に出版された本の中のごく一部に過ぎないのだが。これだけの本を一生のうちに読み切ることは絶対に不可能なのだろうと。ひょっとしても、もしかしたら、も無いのだろうと。一生のうちに読める本など、本当にごく僅かなのだろうと、限界を毎回感じ、苦を感じるのである。

仮に世の中の全ての本を読む事ができたら、どのような思考回路になるのだろうか。今後、AIなら、現存する書籍情報を全て習得する事が可能だと思うから、その思考回路をAIは手に入るのだろうなと考えたりする。

話を戻そう。とにかく、読める本は限られてるということを実感するのである。厳選していかなければならぬ。と考えると身構えてしまい、読書を楽しむことが出来ない。読みたい本を片っ端から時間を気にせずに読んでいけたら、どんなに良いか。新しい本は読みたいが、これまで読んだ本も再読したい。常に本を読んでいたい、とまでは思えないし、読む集中力には限りがある。

改めて、人生で読める本は限られている。その有限性を実感する度に苦を感じる。冒頭一番で私は本屋が好きだと書いたが、その意味では、私は本屋は嫌いなのかもしれない。相反する感情が併存することは、なんらおかしい事ではない。