Kengonの書きたいブログ

狸小路商店街最重要思想家 兼スノーボーダー

言語化

今日もブログが書きたくて仕方がない。

 

何か出来事に反応して、心がモヤモヤとする。

 

モヤモヤと苦を感じる。

何故モヤモヤするのか、明確に分かるときもあれば分からない事もある。

 

分からない、何故かモヤモヤする。

しばらく考える。何故自分はこの出来事に反応し、モヤモヤとした苦を感じているのか、この出来の何に対して反応したのか?

感情がまず起こり、理屈を考える。

 

こういう理屈によって、私はそう思うように意図的に選択して、感情を起こすものではない。という事だ。

 

感情は起きるものであって、起こすものではない。殴られて、痛みを自動的に感じるのと同じで、何かの外的刺激によって、自動的に感情が起きる。

 

なぜ、この感情が起こったのか、を考えて、言語化して整理することが出来ると、ああそうか、だから私は怒りを感じたのだ、モヤモヤを感じたのだ、と理屈が分かると感情が治まるのを感じる。冷静さをとり戻せる。ときにスッキリさせる事が出来る。理屈を言語化することによって、感情を鎮めることが出来るように思う。事象を客観的に観ることができるようになるから、というのも理由かと思う。

 

もし、これが言語が無い世界だったらどうなのかと考える。言語無しに、理屈を考える事は可能なのだろうか?理屈を考えられなければ、モヤモヤの原因を把握したり、考えたりすることは可能なのだろうか?言語が無い、動物の世界でも、動物達は怒りやモヤモヤを感じることはあるだろうが、彼等は理屈を思考して、人間のようにスッキリすることは出来るのだろうか?

 

この世界に来て、物心がついた時には言語を習得していたので、言語の無い世界が想像つかない。

 

私は言語化して、スッキリとしたい。このブログを書いている理由の一つもそうだ。自分が考えていることを言語化することによって、内容がより整理されて、スッキリとする。書いても、モヤモヤのままの場合もあるが。

 

言語があって良かったと思う。

私は言語が、好きなのだと思う。