Kengonの書きたいブログ

狸小路商店街最重要思想家 兼スノーボーダー

執着の炎

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今日もブログが書きたくて仕方がない。

 

執着の炎。その燃料は無限だ。

執着しようと思えば何にでも執着できる。燃料の種類は無限だ。身の回りのもの、遠く離れたもの。そして、3次元では無く、4次元だ。過去にあったもの、今あるもの、ときに未来にありえるものすら執着の対象にすることが出来る。

 

そして、無限に再利用が可能だ。無限に燃料を複製できるとも言える。つまりは、無限の種類✖️無限の量、だ。死ぬまで執着の炎を絶やさない為の量の燃料は、もう十分過ぎる程、という表現では全くしっくり表現できない。バグったレベル、気が遠くなるレベル、いや、それでも到底表現できない。くらいのレベルだ。

 

死ぬまで執着し続けることは、容易すぎる。執着し続けることに時間とエネルギーを割き、苦しんで、死んでいった先人はゴマンといる。

 

人生の前半で、執着の対象となるモノをひたすらに溜め込む。人生の後半を、その溜め込んだモノを守る為に執着し、思い悩む事に時間とエネルギーを費やして、苦を感じる。そんな生き方は、いかがなものだろうか。

 

岡本太郎氏の「積み減らし」という言葉が好きだ。執着の対象となる、過去の遺物は手放し、積み減らしていく意識が、肝要である。

 

子供は、過去の出来事も、持っているモノも少ない。よって、執着するものも少ない。よって、彼らは毎日を楽しく生きている様に思える。明らかに、物理的に、経済的に、我々よりも行動に制約があるにも関わらずだ。「積み減らし」によって子供、幼子の状態へ戻り、ニーチェが曰く、最強の存在、幼子の精神に至ることが出来るのではないだろうか。(※三段の変化)

 

と、私は勝手に解釈している。知らんけど。

だが、ニーチェはまずは、幼子の前に、ライオンにならなくてはならないと言っているので、恐らく違う。だが、それでいいのだ。正直、認知的不協和を感じるが、ひとまず私は、そう解釈したいのだ。

 

(※三段の変化)

三段の変化とは、ニーチェが『ツァラストラはかく語りき』の中で語っている話で、簡単に言うと「精神がラクダとなり、ラクダからライオンとなり、ライオンから幼子になること」をいう。…って、言われても完全に意味プーですよね。ググってください。精神の優劣という話というよりも、新しい価値を見つけるために必要なステップの話。です。