Kengonの書きたいブログ

狸小路商店街最重要思想家 兼スノーボーダー

執着の種火

今日もブログが書きたくて仕方がない。

タバコの吸い殻の小さな火種が、やがて大きな炎と化して、大火事となり、街を焼き尽くす事があるように、小さな執着の火種が、やがて心の中で燃え盛る火炎の如く大きな執着となり、絶望する程の苦を感じる事にもなり得る。

小さな執着を甘くみてはいけない。心は燃えたがりなのだ。基本、常に何にでも執着したがっている。反応したがっている。ヤツは雑食であり、対象はなんでもよい。小さな火種を得れば、それを燃え盛る火炎の如く、増幅させることはヤツにとって容易い。追加燃料は無限にあるのだ。

小さな火種のうちに、都度、丁寧に、滅殺することが肝要である。執着した、と気付くこと。明らめることだ。感覚の世界に意識をスイッチするのも技術だ。執着は技術で回避できる。

執着をしてしまうこと。反応してしまうこと。これ自体は脳の機能上、それを回避することは出来ない。それは明らめよう。自分を責める必要は1ミリもない。そういうものだ。問題は、その執着に気付くことだ。