Kengonの書きたいブログ

狸小路商店街最重要思想家 兼スノーボーダー

ごまかし

f:id:kengon157:20230504145324j:image

今日もブログが書きたくて仕方がない。

 

何かをごまかす。お酒でごまかす。過度に食べることでごまかす。本を読んでごまかす。YouTubeNetflixを観てごまかす。何かブルシットタスクを作って、片付ける事でごまかす。ごまかしの方法は色々あるが、とにかく、我々は何かしらを毎日ごまかし続けながら生きてる。

 

やらなくてはいけない、解決しなければならないと思っている事がある。だがやりたくない。心が動かない。やろうとしても苦を感じる。だからやらない。その気持ちをごまかしながら生きてる。精神衛生を保つ為に、ごまかす。必要悪とも思える。

 

ごまかしたい大元の根を断つ。臭いものの元を断つ。それがベストだ。正論だ。だが、方法に皆目見当がつかない。根絶のイメージが全くつかない。考えると絶望を感じる。そんな場合もある。だから、ごまかし続けるしかない。死ぬまでごまかし続けて、人生を終える人はきっと大勢いるのだろう。

 

ごまかし続けたら、いつのまにか大元が消えてなくなってくれるかもしれない。そんな幻想に駆られる。だがそんな事は、あまりない。ごまかし続けるしかない。酒を飲み続けるしかないという思考に陥る。酒を飲めば一瞬は気が確かに晴れる。だが、その後は深い憂鬱が襲ってくる。だから、また飲む。飲まずにはいてもたってもいられない。そして、依存して、中毒になる。皆、不安な気持ちをごまかしたいのだ。

 

ペイ•フォワードという映画の主人公の若い両親2人がアルコール中毒だった。母親は子供の目を盗んでは、家の地下室に隠したウィスキーのボトルを取り出してラッパ飲みをする。父親はアル中になって出て行ってしまった。時折りフラッと帰ってくる。そんな夫婦だ。これでヨシと思える生活とは程遠い。アル中が怖いと思った。アル中など、他人事と思っていたが、酒飲みであれば、誰しもなりえると思った。

 

そもそも、根本の問題を解決しなければならない。というのも妄想かもしれない。思い込みかも知れない。そして、解決したとしても、必ず新たな解決すべき、と思う問題がでてくる。断言しよう。問題がまるでない状態など、永遠にやってこない。幻想である。

 

キリがないのであれば、今の問題をごまかし続けるのも一案ではないか?とも思えてくる。

 

だが、敢えて解決していった方が、総じて、人生は楽しいのではないか?と考えるのである。

 

だが、今日も、また先延ばしにして、日が暮れていくのである。