今日もブログが書きたくて仕方がない。
これを持っていないあなたは相対的に不幸。という、押し付け。欲望という苦を与える。
欲望とは、「欲しいものを手に入れるまで不幸でいます」という契約を自分自身と交わす事だ。
広告を見せられるたびに契約書が1枚ずつ増えていく。
そして、「それを手に入れたら幸せになれる」と思い込むのは、私達が、何度も、何度も繰り返す誤ちだ。
広告は我々に苦を与え、時間と、エネルギーを奪う。
毒と同じだ。
その対価に見合う番組内容なのか?
見合うだけの視聴体験を提供してくれるのだろうか?
民法TVはタダ(金銭的に)で見られることに、なんて有り難いことなんだと本気で思っていた。だが、今では全くもって、対価が釣り合わないと思ってる。逆の意味で。
一方、YouTube premiumは素晴らしい。月額1180円で広告無しで見られる。人類総発信時代(言い過ぎ?)、情報の質はカオスに近い玉石混合状態で、相当シビアな選別リテラシーが求められるが、人類の叡智並みの情報もYouTubeに集積している事は間違いない。それを広告無しで、この値段で、好きなタイミングで観られて、しかも保存までできる訳だから、破格である。TVとは、もはや比較にならないメディアサービスだと思ってる。
だが、TVにはTVなりの役割があるのかも知れない。情報を選別するのではなく、とにかく受動的に受け取りたい人もいると思う。何となく、部屋でTVをつけてラジオのように流しておくと落ち着く、という人もいるだろう。同じ時間、タイミングで、同じ内容を、他の全国の見知らぬ人と共有出来ている、という一体感を感じたい人もいるかもしれない。と、TVのメリットを捻り出して見る。