今日もブログが書きたくて仕方がない。
直近読んだ本に書いてあったこと。
成功するから幸せになるのではなく、
幸せだから成功する。という話。
つまり、成功したいならば、ちゃっちゃと幸せになりましょう。という逆転の発想。面白い。
じゃあ、どうすれば幸せになれるのか?っていう方法が、7つ程書かれてる。至って地味な方法だけれども。でも、本質的な事は、いつも結構地味。例えば、ダイエットは、結局はカロリー収支に気をつけて、少しでも日々収支がマイナスとなるよう、食事に気をつけて、運動もしましょうね。であったりとか。そりゃそうなんだけど、と思う、地味な方法が、結局はやっぱり本質。
少し、話が逸れたので戻すと、チャッチャと幸せになる方法について。
現実がどうあれ、気の持ちようで、すぐにでも幸せになれる。と思う。
明らかに暴力を受けているだとか、ブラック企業で頭がおかしくなりそうな残業を強いられているとか、住むところも食べるものもなく、飢えと寒さに耐え忍ぶ毎日なんです、というような状況であれば改善し、最低限レベルはクリアする必要はある。だが、憲法25条の文言を借りれば、文化的で最低限度の生活が出来ていれば、気の持ちよう次第で、すぐにでも幸せになれる、と思う。
世の中には、幸せのお手本みたいな概念があって、日常的にシレっと、ときにはガツンと押し付けてくるので、注意が「超」必要だ。一家団欒の家族写真、夢のマイホーム、三ツ星レストランでの豪華な食事、森の教会での結婚式、豪華客船で世界一周、南国の島でのバカンス。などなど。今旅行先にいるので、昨日、超久しぶりにTVをつけてみたが、ある番組で「今や新婚旅行先が海外なのは常識!」みたいなテロップがバーンと流れていた。常識ってなんだろうか。
これが幸せなんです。これらを実現していない、あなたは幸せではないんですよ、と、むしろ不幸なんですよと。言わんばかりであり、そう受け取ってしまう人は沢山、実際にいる事だろう。
自分が不幸だと思うのは、そのような情報に毒されているからだ。
資格試験に通れば、出世が出来れば、お金があれば、幸せになれるよ。
逆に言えば、無資格で、平社員で、貯金が少ない、あなたは不幸なんですよ、と判断を押し付けられているのだ。
と、この押し付けを無視して、考えると、私は、十分幸せなのでは、と感じる。(今日は天気がとても良いからかも知れない。)
かといって、これ以上を望まないのか?
上を目指すという意識ではなく、横に平行移動したい。平行移動して、色々やりたい。その意識の方が、気張らずにヌルっと何事も出来る気がする。