今日もブログが書きたくて仕方がない。
行動の裏に潜むタスクについて、いつだって見積もりは甘々だ。
例えば、家にいるときに小腹がすいてアーモンドが何気なく食べたくなるとする。家にストックはない。買いに行く必要がある。幸いスーパーは近くにある。だが、アーモンドを口にするまでのタスク、モーションは想像以上だ。
それなりに身なりを整える。
持ち物を整える。
玄関から外に出る。
鍵を閉める。
鍵をポケットに入れる。
エレベーターに乗って降りる。
スーパーへ移動する。
スーパーへ入る。
アーモンドが置いてある棚へ移動する。
アーモンドを手に取る。
レジへ移動する。
レジ袋を取る。
セルフレジでバーコードをスキャンする。
リーダーにSuicaをタッチする。
アーモンドを袋に入れる。
レシートを受け取る。(あとで処理が必要だ)
スーパーを出る。
自宅マンションへ移動する。
鍵を取り出す。
マンションオートロックを解除する。
鍵をしまう。
エレベーターに乗って上がる。
鍵を取り出す。
玄関の鍵を開ける。
中へ入る。
洗面所へ行く。
蛇口を捻る。
手を洗う。
蛇口を閉める。
タオルで手を拭く。
持ち物を整理する。
はさみを探す。
はさみでアーモンドの袋を切る。
はさみを片付ける。
中のアーモンドを取り出して食べる。
食べ終わる。
ゴミ箱の蓋を開ける。
ゴミを中に入れる。
ゴミ箱の蓋を閉める。
ゴミ袋の重量が少しまた増える。
少しの小腹を満たす為だけに、ザックリではあるがこれだけのタスクが発生する。私のシステム1は、上記タスクが発生することをほぼあまり考慮せずに、小腹が空いたらアーモンドを買ってきて食べる、という判断を下す。
まあ、タスク自体を楽しめればよい。外に出かけることはよい気分転換になる。だが、ふと気軽に決めたことに、多大な必要タスク、モーションが潜む可能性は考慮したいものである。