今日もブログが書きたくて仕方がない。
迷ったら黒い方。
迷ったらシンプルな方。
迷ったら楽しい方。
迷う時点で、どちらを選んでも大差ないのだ。
例えば、断捨離を進めようとしよう。お持ちのiPhoneを手放すか?秒でNOである。
このような明確な判断が出来ないならば、どちらを選んでも大差はない。
迷うだけ、時間とエネルギーのロスである。
無論、十分な情報収集、慎重な判断を要する場合もある。ケースバイケースだ。そこは柔軟に行こう。
今日もブログが書きたくて仕方がない。
絶対に失敗しない方法を昨日見つけた。
「失敗」という言葉、概念を頭の辞書から消せばいいのだ。
頭に概念自体がないのだから、失敗しようがない。
なんだ、そんなことか、と思うのは後知恵バイアスである。
少なくとも、私はこれまで、「本気」でそう考えることはなかった。
言葉は人が考えた妄想である。
この世界に来た時に、前にいた先人達が勝手に作った妄想である。
この世界、この宇宙に、絶対的に存在する概念ではない。
(もし絶対的に存在するものがあるとすれば、自然科学に関する物質、原理だけだと思う。)
妄想は消すことができる。
よって、私は「失敗」という妄想を消すことにした。
大体案として、「経験」としよう。しいていうなら「成功の為の経験」だ。
転送届を出そう。私の辞書の中の「失敗」は何処かに引っ越して行った。
今後は「経験」に転送して欲しいと、郵便局へ転送届を出すのだ。
私はもう、失敗しようがない。
思考実験である。
私は毎日が思考実験である。
今日もブログが書きたくて仕方がない。
WOW!合宿免許WOWだよ!
という、誰かが言っていたこのギャグの言い回しが好きだ。
いつからはわからないが、ファミリーマートに行くと、店内に
流れている、アレが元ネタだ。
だが、これがファミリーマートに流れているのは
私が住んでいる関東圏だけなのだろうか?
関西や、九州、北海道でも通じるギャグなのだろうか?
全国区なのだろうか?
このフレーズを使うにあたり、この人に通じるのだろうか?
という余計なワンモーションを挟むことになる。
これが常に日本中を移動するようなライフスタイルであれば、
肌感覚で、瞬時にその判断ができる。
「アイデアは移動距離に比例する」
少し、意味合いは違うかもしれないが、移動が多く、
情報量が多ければ、そのギャグ(アイデア)を
余計なワンモーションを挟まずに活かすことができる。
そんなことを考えながら、合宿免許WOWのネーミングセンスに
なんとも言えない愛着感を感じるのである。
今日もブログが書きたくて仕方がない。
モヤモヤとする。
原因は分かっている。だが、そんな小さな事で、そこまでモヤモヤするのはおかしい。と思っている。
そう思っているのは、システム1か?
それは本当に「小さな」事なのか?小さな事と思うのは短絡的判断なのではないか?少なくともそこまでモヤモヤして君を苦しめ続けるのであれば、小さな事ではないはずだ。小さな事だと、思い込むようにする事に苦を感じるのならば、それはもはや、小さな事ではないはずだ。
ヤバいことをヤバいと明らめて、認識することが、肝要である。
今日もブログが書きたくて仕方がない。
所有という概念も人が作り出した妄想だ。
所有という概念をはずす。
全ては借り物であると考えよ、とギリシアの哲学者エピクテトスは言う。
我々は手ぶらでこの世界にやってきた。(なにか持ってきた人はいるだろうか?) そして手ぶらで帰るシステムだ。モノの全てはレンタルシステム。この世界から帰る時には全てを返却しなければならないのだ。
運営側は色々貸してくれる。タダで貸してくれることもあるし、対価を払う場合もある。帰るときまで貸してくれるものもあるし、時には、いきなり返却を迫られて強制的に持っていかれることもある。だが、それはしょーがない。だってレンタルだもの。運営側の都合でそんな時もあるよね、と。
運営側から、そこそこ結構お金を貸してもらっていた。私はそこそこ結構働いてはいたので、気づけばそこそこ結構、その対価として貸してくれていた訳である。だが、運営側の都合なのだろう、急遽返却を迫られて、そこそこ結構まとまって持っていかれた。ま、レンタルだし、そんなもんだ。あってもあまり使わないので、特に生活は全く変わっていない。
負け惜しみではない、のである。
今日もブログが書きたくて仕方がない。
ギリシアの元奴隷の哲学者、エピクテトス曰く、「コントロール出来ないものは軽く見よ」と。
私は、軽くというか、ほぼガン無視するようにしている。
この思考習慣が、定着してきたので嬉しく思う。
私は毎朝、出掛ける前に玄関に立ち、ブラシでスニーカーの埃を払うことをルーティンにしている。
今朝もブラシで埃を払っていたのだが、手を滑らせてブラシを落としてしまった。
落とした、瞬間、この通称アウトオブコントロール思考が働き、落ちゆくブラシを見ながら、ああ、もう手を離れたブラシはコントロール出来ない、と瞬時に悟り、ガン無視。落ち切ったところで、どうするかをかんがえよう、とナチュラルに、瞬間的に考えられた事を、実感した。
気のせいか、落ちゆくブラシがスローモーションで見えた。落ちた瞬間に慌てる事が無かった。
思考はトレーニング次第で、進化できるのだなという手応えも感じた。
今日は良い1日が、過ごせそうである。
知らんけど。