人は一旦、何かを保有するとそのものに愛着なり、実態以上の価値を感じるようになり、手放せなくなるというバイアスだ。
このバイアスは非常に強力だ。その思考に陥っていることをメタ認知出来たとしても、外す事が出来ない。理屈ではなく、感情で、手放せない。手放すのが辛い。
食欲、性欲、睡眠欲と同じように強力だと考えてる。このバイアスが視覚的に強烈に具現化したのが、ゴミ屋敷だと思う。私の散歩道にとある一軒家のゴミ屋敷があり、毎回通る度に眺めているのだが、人の執着の強力さを狂気の如く感じる。畏敬の念さえ覚える。
このバイアスを外すには相当の工夫、考え方の矯正が必要だ。
と、考えていたところ、心は直接コントロール出来ない。間接的にコントロールするという意識を持つべきなのではないかと。そこで浮かんだのが箱庭のイメージだ。心という、小動物を箱庭の中で飼っている。そこに水飲み場や、寝床、回転カゴを用意して整えてあげる。つまり、清潔で快適に過ごせるような環境を整えてあげるイメージ。
誰かの著作の中で、人の行動は自分でコントロールできているようで、それは錯覚。実態は反応によって動いているオートマトンだ、と言っていて、面白いなと思った。
心は直接コントロール出来ない、自動人形オートマトンだと思う。そのオートマトンを箱庭で飼っているようなイメージで、間接的にコントロールする。
つまりは丁寧に、環境を整えること。仕組みを整えるという事が、肝要なのではないか。