今日もブログが書きたくてしょうがない。
やりたいことを思いついて、その達成までにかかる工数の見積もりは
大概の場合、私の頭の中のシステム1が
利用可能性ヒューリスティクスに基づいて弾き出した
いい加減なものだ。
綿密に前提条件を考慮して積み上げた見積もりではない。
だが、その見積もりに縛られる。
こんなはずじゃなかった、予定通りに進まない!
なんて俺は駄目な人間なのだろうか、と。
そもそも見積もりが駄目なのだ。
いい加減でバッファを考慮していない適当な見積もり。
そんな見積もりの呪縛に因われて苦を生み出している。
しかも本気で。自分が弾き出した見積もりは達成可能、
達成されるべきものだったのだと。そう思いこんでしまう。
これを「短絡的見積もりの呪縛」と名付けよう。
見積もりは当初の想定の倍くらいとって、妥当な線。
そうやってバッファを考慮すると、
人生でやれることは結構おもったよりずっと少ない。
だから選択が大事。やるべきではないことは徹底的に切り捨てる。
「ケンゴンよ、それはやりたい度数が90点以上のものか?」
89点以下のものを切り捨てるという勇気をもつこと。
これは想像以上にハードだ。89点のものを切り捨てるのは辛い。
切り捨てる「練習」を積み上げていこう。練習あるのみだ。
ハマトンも、人間はなんでも短く見積もってしまうと言ってた。
人生は思うよりずっと短い。睡眠時間をきちんと8時間以上
確保していたら、あんまり時間はない。(かといって睡眠時間は
最優先で確保すべきなので、削ってはダメだ。削ることは愚の骨頂。)